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その福島県双葉町の人々を形容するに、理不尽・不条理・不憫…どんなに言葉を捜しても見つかるものではない。 ボクの微細な作家の能力では、とても書き表せるものではないのです。 まさに事実は小説より奇なりであろう。 昨日はまず、観光バスで皆様を東京の国際理容美容専門学校へお招きし、ヘアーカット・カラーリング・エステ・ネイルアートなど等、お望みのサービスを差し上げた。 学生と教職員が皆様のあらゆるリクエストにお応えしようと懸命に施術していた姿が頼もしく瞼に浮かぶ。 皆様が美しく笑顔になって頂いた後は、バスで浅草やスカイツリー見物、そして水天宮での初詣の正式参拝、その後皆様と一緒に食べたお弁当が美味かった。 そして皆で人形町界隈の散策…甘酒横丁で甘酒を立ち飲みし、歩きながら鯛焼きをほお張った。 まぁおじさんおばさんたちがワイワイ言いながら、食べ歩きする姿をみた人たちは、きっとその人々が福島の原発被災者だとは、想像だにしないだろう。 原宿や渋谷の若者たちにも元気さでは負けていなかった。 たった一日のお付き合いでしたが、一瞬でも辛さを忘れていただけたら幸いです。 笑顔と元気を差し上げるボクたちが、逆に大きな元気を頂いてしまったのかも知れないと感じています。 今回のボランティア支援は昨年立ち上げて実行している「被災地に笑顔を」実行委員会の今年最初のアクション。 神社本庁・産経新聞社・国際理容美容専門学校他、多くの団体、企業による委員会です。 今年も更に多くの力を集め、ボクたちならではのボランティア活動を行います。 今回ご尽力いただいた全ての委員、スタッフの皆様に感謝します。 そして、これからずっとずっと同じ日本人として多くの震災被災者の皆様に寄り添い、辛さや痛みを共有出来ればと願っています。 尚、昨日のボランティアの様子は、本日発行されている産経新聞に掲載されています。
人間長く生きていると、道は二つしかないことに気付く。 棺桶まで金と権力にしがみ付くか、世の中にご恩を返す為に働くか… であろう。 ボクは迷うことなく後者の道を選んだ。 その一歩が、日本脚本家連盟理事就任だった。 ボクが40数年間お世話になった放送・芸能界へのご恩返しである。 更にこの日本脚本家連盟が協同組合であることに、ボクは大いなる希望と目標が持てるのである。 協同組合と言うと、労働組合と混同されることが多いが、かなり両者のふり幅は違う。 協同組合は目的、計画、権利の達成保全の為に同じ意思と夢を持つ個人や団体が協同で活動する組織である。 そこにはイデオロギーや宗教や人種や国境さえも越える力がある。 そして、今年は…日本では政治家が情けない政争に明け暮れ、マスコミはそのお追従記事に我を忘れていらっしゃるようで、多くの日本人は認識が無いのだが…今年は…国連が定めた「国際協同組合年」だ。 なにそれ?と思う方が多いだろう。 ボクはこう解釈している。あくまでも個人の認識だが…。 今、資本主義も社会主義も崩壊の危機である。 ヨーロッパのユーロも日米の経済もロシア中国も危うい。 資本主義や社会主義に代わる次世代の道が懸命に模索されている。 その現状世界にあって、大いなる可能性を秘めているのが「協同組合」と言う生活経済に道なのだ。 世界中の同意識、同方向、同夢をもつ人々や団体が協同で組織を創って活動して行く。 国境も無い、上下の無い世界が誕生するだろう。 それが国連の掲げた「国際協同組合年」の趣意だと、ボクは勝手に解釈している。 あながち推察は外れてはいないと思うが、まぁ結果はこの駄文を十年後に読む方がいたら、その人が判断してくれるだろう。 ちょっと楽しみ!
悠長な気分を持ち得ない。 この国の新年は「闘春」からの進行こそ相応しい。 昨日、全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)の新春の集いにお招き頂いて来た。 開場は毎年の目黒・雅叙園である。 いつもなら「新春賀詞交歓会」のタイトルが今年は「新春の集い」に 変わっていた。 そこにJR総連の深い闘魂の意思を感じた。 来賓各位も衆参両院議員が60名ほど、更に各労組代表、冤罪事件支援団体、憲法9条各連絡会、作家、ジャーナリスト、弁護士、市民ネットワーク等々開場は熱気が溢れ、まさに「闘春」の開幕であった。 なかでも挨拶に登壇された新党大地・真民主の鈴木宗男さんの薫陶は 各人の血を沸かせ、肉を躍らせる言霊に溢れ返っていた。 他の方々の訓話にも垣間見えたが、今年は全てに於いて混沌、混迷、打破、改革の言葉が踊る。 ボクは更に一歩、市民革命の好機と捉えている。 今、全ての仕組みを壊し、組み直す時期である。 それは取りも直さず、この国の次の世代への幸せの継承の為にほかならない。 そこで提案がある。 「闘春」に参加する人々はニヒリストになって欲しいのだ。 団体など作らなくて良い。 まずは一人一人がニヒルに生きる事だ。 ニヒリスト・・・すぐグーグルで検索したところで、まずは「虚無主義者」・・・受け狙いでは「ゴルゴ13」あたりに行き着くだろう。 ボクの言うニヒリストはツルゲーネフが言っている行動者のことだ。 彼は言う、既成の体制や価値観を否定する者がニヒリストだと。 それは反抗と否定に希望を見出す人々のことだ。 今年はこの国に、ニヒリストがあふれ出ることを期待したいのだ。 自分の国は自分で作り変えようじゃないか。 だって、ボクたちは地球上で、やっぱり「ここ」がいいから。
日本各地に伝承されている「風土記」は、どれもその大切さをボクたちに語りかけている。 日本各地、町、村、集落には独自の風土がある、それを故郷と呼ぶのだろう。 東日本大震災の被災各地も新たな年を迎えた。 ボクもまた、彼の地の人々に、どのようなお手伝いが出来るのかを考える。 昨年は、とにかくお手伝いを…の思いの余り「被災地に笑顔を実行委員会」を神社本庁、産経新聞社他多くの団体、法人、個人の方々のご賛同で立ち上げた。 岩手県陸前高田、気仙郡住田町でのボランティア活動。 宮城県石巻、仙台での復興復旧シンポジューム参加。 そして、ボクとしては多くの課題を繰り越して迎えた新年である。 今年はまず今月、福島原発災害で県外非難を余儀なくされている福島県双葉町の方々を東京にお招きし、ひと時の笑顔になっていただける 楽しいボランティア活動を予定している。 被災地の皆様に寄り添い、共に生きるのはこれからである。 今年は出来る限りの力を捧げたい。 その時、ボクのテーマとして「風土」を大切なキーワードにしようと考えている。 その地、彼の地で全て風も土も水も違う。 人間だけが高台に移り住めば良い…なんて経済感覚では何も解決しない。 故郷の全ての「生きとし生けるもの」の存在をボクたち人間が忘れてはいけない。 復興・復旧は長く、人の記憶は短い。 毎日毎日、被災地に寄りそう心を更新していきたい。 「がんばっぺし!」
昨年は余りにも衝撃的な出来事が続き、とてもここで言葉遊びする気分になれませんでした。 今年はこの祖国にとって、国命を左右する一年になります。 同時代、同危機を生きるものとして、その記録をここに残す事にしました。 読んで頂いた方は、どうぞメールにて異論・同論をお聞かせくださいね。 さて新年、最初の読書は迷うことなくレイチェル・カーソン著「沈黙の春」です。 実はこの作品の存在は20年ほど前から知っていましたが、読む気にはなれずにいました。 多くの作家もこの本を引用して作品を書いています。 五木寛之さんの最新作「下山の思想」も多分に影響を受けています。 海洋生物学者であるレイチェル・カーソンさんのこの作品は、実は40数年前に初版が発行され、ボクが手にしている新潮文庫は、驚く無かれ72刷版です。 日本で一番多く再版されている作品なんですね。 なぜ今、「沈黙の春」なのか? これを読めば、この未曾有の大災害に直面しているボクたち日本人が どうやって命を繋ぎ、どう心を結び合って生きてゆくのかの手助けになります。 また「経済成長なくして、国民の豊かさはなし」 などと20年間も喧伝し、国民を誤った道に引きずり込んだ政治家、御用経済学者、御用役人たちのイデオロギー・コントロールの手口も見抜けるでしょう。 資本主義も社会主義も、今年の世界はその炎を消して行くでしょう。 その次の道はなんだろう? 「沈黙の春」にボクは微かな灯火を見つけました。
天津神・国津神が敷島の倭の国を創り、ボクたちが居るそうな。 天と地の違いは今、倭の人々の間にある、様々に。 東日本大震災の救援・復興財源がままにならぬ中、 昨日20日、政党交付金がすんなりと出た、320億円。 日本共産党のみ、助成金の受け取りを拒否したが…。 原資は老若男女国民一人当たり250円の税金。 東日本大震災の被災者の皆さんも拠出している。 その国民の血と汗と涙の滲んだ金を持って、政治家の大先生たちが行く先は…。 被災地…いやいや 原発事故現場…いやいや、そうではありませぬ。 銀座・赤坂・神楽坂、夜毎御会合と言う名の団欒・懇親。 さて一方、未だすんなりと義援金の分配も、東京電力からの立ち退き仮払い金も頂けぬ被災者家族たち。 そして、福島第一原発で復旧の為、懸命に格闘している作業員、技術労働者たち。 家族の為、ふるさとの為、国の為、いや世界の為に身を捧げての不眠不休の危険極まりない重労働。 彼等のやすらぎはレトルトをほお張り、使いまわしの寝袋での仮眠。 身体を包む風呂もなし、ましてや酒など一炊の夢。 政治家の大先生方よ! あんたらに恥辱の言葉はありやなしや。 人間としての尊厳の欠片はいかに…。 ひと月前だか、総理は言った。 「死ぬ気でやります」と。 天の人の声だから、そら空しく響き渡るか… 洒落にもならんぞ!
大自然の神の怒りにも似た驚異の前に、 なす統べなく佇む人々。 幾重にも切れ込む東北海岸の浜辺に、 夜毎叫び続ける慟哭の恨み声。 海中に漂うあなた達にも聞こえるだろうか、 生きていて欲しいと願う、幾万の招き音を。 満点の星よりも尚、多き熱火の涙々の滴。 そんな情景を、日夜の震災情報で浮かべつつ、 これ以上、何をか語るべき言葉を持たない。 暗愁の海、春なのに… 今夜は積雪だそうな。 シゲル拝
原子力にど素人の俺が三週間以上前に指摘していることを、やっと政府が認め、汚染水の海洋流出箇所を明らかにした。 いかにも昨日気がつきました…なんて白々しい顔で、官房長官が、保安院が、東電が。 その流失箇所の修復も出来ないという、信じられない技術者達なのだ。 汚染水の流失の穴を紙おむつやおが屑や新聞紙を丸めて塞ごうとしていると聞く。 これが我が国の最先端科学なのか? 国民の命を守る最終手段なのか? 汚染水の流失箇所は、他にも必ずある。 俺には、そこが何処だか簡単に想像できる。 しかし、そこは防ぎようのない箇所なのだから発表はしないだろう。 故に海洋汚染は、今まで人類が経験したことのない恐怖をもって進行するだろう。 大気汚染もしかり、もう自己保身のパフォーマンスやこの事故さえを政局に転換しようとする政治家は排除しなければならない。 ジャーナルもその視点にたって報道して欲しい。 首相官邸や議事堂内で作業服を着ているコスプレ・パフォーマンスは 国民の顰蹙でやっとやめた政治家達、特に現内閣はただちに解散し、 この国に命を捧げる政治家達だけで救国内閣の設立を大至急お願いしたい。 我が国の若者たちの命だけは、救わなければならないのだ。 国民投票で、今すぐやろう。 知事選挙や地方選挙などやってる場合ではないだろう!
原発に素人の俺が当初から想像していた事態が現実になってきた。 これは太平洋戦争以来の我が国の興亡が問われる時なのだ。 その現実感が政府、東電、原子力学者たちにありやなしや・・・。 俺は無いと断じる。 俺はこの愛する祖国の存亡はこの一週間にあると思う。 そして今、早急に祖国の為にやることが二つある。 @ IAEA国際原子力委員会に土下座してでも国際緊急会議を招集してもらい、世界の原子力の英知を結集し、この危機を乗り越える方針を出してもらうのだ。 方針が出たら、それに向け命を張って立ち向かう。 日本の原子力学者・専門家の手に負える事態ではないのだ。 A 国家救済の志願兵を国民から募集する。 今、福島原発の現場にいる人々には、強烈な恐怖の中で懸命な努力をしていただいている。 既に彼等の半数はPTSD…強烈なストレス障害に冒されているはずだ。気持はあっても身体がついていけない状況だろう。 そこで大至急、広く国民から志願者を募るべきだ。 国の存亡の為なら、命を投げ出す人々はたくさんいる。 愛国者の出番である。 右翼の方々にも、ヤクザにも、犯罪者にも、腐った政治家など足元にも及ばない愛国の精神も持った方々は多いのだ。 その方々に政府は特赦・恩赦を与えてお願いするべき時だ。 これは早急に行わないと間に合わない。 勿論、その時俺は真っ先に駆けつける!
遂に亡くなった方々が1万人を超してしまったが、最終的には犠牲者は 5万人を遥かに超えると俺は思う。 甚大な海洋汚染が必ずある、犠牲者が5万人超え等と言うと、 政府や化学者たちは、「根拠がないことを言うな」「論理的でない」と否定する。 そして、放射線被害には、「ただちに、どうのこうのと言う問題ではありません」などと政府の御用専門家に言わせる。 馬鹿を言っちゃいけない。 大地震を前にして、あんた等はなんと言った? 想定外の災害に見舞われたと言ったじゃないか! 政府や化学者に想定外などあっていいのか? 全てを想定するのが、政治であり、化学じゃないのか? 世界で唯一核爆弾の驚異を味わった我が国が、安全が想定できない原子力発電所を、何故作ったのか? 国民の命を犠牲にした私利私欲だけじゃないか! 国民の安全・安心は経済欲や権力欲の亡者の理論にはないのだ。 金儲けを考える輩には、その経済論理に大地震や火山噴火はない。 つまり想定外なのだ。 ことが起こると「まさかそこまで考えませんでした」ってやつだ。 彼等には大自然の現象は、すべて想定外なのだ。 創造力がないのだ つまり、彼等のちっぽけな理論や学問など現実に直面している災害には何の役にも立たないのだ。 今、必要なのは祖国への想い、人への愛なのだ。 それを最大の判断基準に、それぞれの役割を、それぞれが発揮しようではないか。 政治家や科学者に任せるのはよそう。 俺も出来る限りのことをするつもりだ。 俺を生かしてくれたこの国の為に。必ず。
オスカーの主演女優賞を2度に渡り受賞され、そのチャームな美貌と、 自由奔放なるライフスタイルは、世界の男どもを虜にし、女性たちの憧れの存在であったのは今更、評論家面して言うこともない。 彼女は8回の結婚を繰り返し、華麗な男性遍歴も見事であったが、晩年は親友ロック・ハドソンがエイズで亡くなったことが切っ掛けで、全米のエイズ撲滅運動に助力した。 実はこの頃、ボクはエリザベス・テイラー…通称リズとコンタクトしていた。 ボクは当時、劇男・一世風靡セピアの解散公演プロデューサーを任命されていて、ニューヨークでのパフォーマンスを企画していた。 この経緯は今、執筆中の「俺のTV生活45年の自叙伝」に書いてあるので割愛するが、俺はこの企画実現をリズに頼んだのである。 そして結果、リズがNY市長まで動かしてくれて一世風靡セピアのNY公演は大成功した。 あのハーレムにあるロックの聖域アポロシアターまで提供してくれた のだ。日本人としては初めての舞台であった。 そんな当時の思い出など、セピアメンバーだった柳葉敏郎や哀川翔などは覚えているかなぁ。 そんなことより、今朝は震災と放射線騒乱の雑踏からそっと抜け出し、しばし美しかった女優の笑顔をしのぶ素敵なひと時に身を浸しているのである。アデュー!リズ・テイラー。
東電が如何にも今日データーが出たように発表したが、馬鹿言っちゃいけない。 原子力発電所は常時、冷却水放水口の計測は義務付けられている。 東電は爆発直後から計測し、政府にデーターを知らせていた筈だ。 それを政府も保安院も隠蔽していたのだ。 そしてまず野菜と乳牛の汚染から発表した。 一緒に海産物まで発表するのが怖かったのだろうね。 そして昨日あたりから、官房長官の記者会見で海洋汚染の質問が出始めた。(これも遅きに失するが…) 更に政府がとんでもないのは、海洋汚染の原因を雨や川から流れ込んだと、東京ガスに言わせている。 ふざけるな、馬鹿も休み休み言え。毎回の馬鹿は能がなさ過ぎる。 この海洋汚染は、俺が17日に指摘したように、冷却の為の放水の海水が瓦礫などに当たり、そこから放射性物質が溶け込み、それが海に垂れ流されているからだ。 かと言って冷却放水を止める訳にはいかない。 しかし、放水すればするほど海は汚染され続ける。 俺の直感では、もう既に東京湾から相模湾辺りまで汚染はあるだろう。 当然、セシウム137は30年間も半減しないで生物の体内に蓄積されるから、魚介類の汚染は、とんでもない現実になるだろう。 それが政府は怖いのだ。 そこで御用学者や腰ぎんちゃく専門家を政府参与などに起用し安全性を強調させている。 NHKがこの御用報道を率先して放送しているのが腹立たしい。 しかし、国民はこんな政府の発表など信じてない。 支持率が10数%程度の政府と首相を誰が信じるだろうか。 今、この国に途方もない危機がきた。 今、この国に必要なのは、命を捨てるリーダーシップなのだ。 この未曾有の危機をまだ政局にしようとしている似非リーダーや国会議員などいらない。
ことここに至っては、国民に正確な情報を共有させるべきだ。 この原発事故では、政府の稚拙な報道操作が顕著であった。 まず、各報道機関への専門家と称する学者達派遣は、どれも企業(東電など)のお抱え学者や政府の腰ぎんちゃく学者ばかりであった。 彼等は異口同音に「安全だ」「心配は杞憂である」「マスコミの騒ぎは無用」等々、沈静化の発言ばかりであった。 これは情報の隠蔽どころか、悪質な国家ぐるみのプロパガンダとしか俺には思えない。 報道マスコミ機関も、情報伝達どころか、情報破壊・偽情報分散に貢献しているとしか思えない。 いまだに原子力安全・保安院の情報を後生大事に報道しているテレビ局には、報道マンの矜持が皆無としか思えない。 当該機関は経済産業省のお抱え機関である。 原子力を経済のモノサシでしか見ない輩達の集合体なのだ。 その存在の為に、今回の大事故の引き金になったとさえ後世の歴史は喝破するはずだ。 この状況の中で、絶対にやめて欲しい情報の隠ぺい工作がある。 それは、事故を起こしている各原子炉設備を水で冷却しなければならない現実は分る。 しかし、循環水ではなく海水を持ってしての冷却では、使用した海水の後処理は不可能である。 当然、海水に溶解した放射性物質は海に垂れ流しであろう。 空中に放出拡散している放射性物質ばかりに視点をあて、最も恐ろしい海中への拡散は隠されている。 俺は数日前からこれを危惧しているのだが、自衛隊の空中からの海水散布が始まった現時点でも、これを報道する機関はない。 記者会見でも誰も質問しない。 放射性物質を大量に含んだ海水が日本中の沿岸を汚染する、そんな事態にならないことを、天にお願いしたい。
しかし、今回の大震災にあたり石原東京都知事の「東北大震災は天罰だ!」発言を強烈に支持したい。 この発言にクレームを付ける似非知識人や擬似ジャーナリストの多さに呆れ、久々に我がブログを書く圧倒的なモチベーションが沸きあがってきたのだ。 石原都知事の「天罰」発言は、勿論震災に遇われた方々に対して言った言葉ではないのは論をまたない。 それは現政権並びに与野党の政治家、原理主義的経済人など我欲のかたまりの輩に対しての発言なのだ。 俺は「天罰」どころか「天誅」だと感じている。 リーダーシップの欠片もない輩どもには、ただちに総退陣願いたい。 菅総理にはこの未曾有の大震災指揮は無理だ、いや足手まといですらある。 コスプレしてるような枝野官房長官に原発事故は荷が重過ぎる。 屁のつっかい棒にもならない、種別作業が妥当であろう。 この深刻にして不幸な大震災を期に、日本人のアイデンテティを作り直すムーブメントを起こしたい。 その為の戦いを始めなければならない。 まず、我欲のかたまりの輩たちを、叩き潰すことから始めよう。 俺は俺の出来る方法で、この国の為に命を捧げたいと痛切に思い、このブログを再開することにしたのである。 広く同志を募る。 この国と、未来につなげる子供たちの為に命を賭しての闘いを!
ボクも今年はボクなりに、「地球のいのち・つないで」を自身のテーマにささやかな運動をしています。 来月は「地球のいのち・つないで」をグランドテーマにしたヘアーメイクショーを演出すべく準備・稽古中です。 歌も創りました。 国連大学でのセミナーや環境省の方々からのレクチャーを受け、「地球のいのちをつなぐ」ことを、自身のライフワークのひとつにしました。 そうして今日COP10 の開催です、テレビではNHKだけが放送時間を拡大して放送していました。 ボクは自分の仕事柄、放送内容に関しては、大いに異論がありますが、まぁCOP10 の広報としては善しとしておきましょう。 NHKには今日だけではなく、毎日なんらかのCOP10 ニュースを放送してくれることを望みます。 なにしろ今日から3週間、世界200に近い国と地域の方々が名古屋に集い会議し、世界中にニュースとして伝えられるのです。 それなのに、ボクは今、怒り狂っています。 それは夜の民放テレビ各局の番組です。 地球環境をいかに守るか、弱いいきものたちの命をどう救うかを世界中が考えようとしているこの日に、なんなんだ、民放の番組は! しかも、日本はこの会議の議長国です。 世界中が日本の手腕に期待し注目しています。 その時に、相変わらず馬鹿なお笑いタレントをかき集め、飽食極まりない食い物番組の大行進オンパレード。 今夜は発展途上国の人々も沢山、日本のテレビを観ています。 テレビ局の経営者たち、広告代理店、スポンサー企業は、本当にまともな神経を持っているのだろうか? それを言論・放送の自由と言うなら民主主義など消えたほうがよい。 一党独裁の社会主義のほうが、ましに思えるのはボクだけだろうか? この国の大人は、真剣に考えようよ。 今、この国に必要なのは個人の金や権力じゃない、みんなの子ども達、孫達、ひ孫たち、百年、二百年先の子ども達が健康に暮らせる自然の世界なんです。 もうこの国は改革の時ではない。 革命的変化が必要だと思いませんか!
ボクは彼が自殺したとは今も思ってもいないが、世間はすでに終わった事件として人心には留まってはいないでしょう。 今年の初め、マーク・ゲラゴス弁護士との金銭契約も切れ、結局彼は何も実績を残さないまま手を引いてしまいました。 金の切れ目が縁の切れ目アメリカ人は、はっきりしています。 ビジネスライクは結構だが、三浦和義さんの遺品…服やアクセサリーなど等、何一つ返還されていないのです。 帰ってきたのは遺骨だけです。 ロス市警が主張するように、三浦さんが自殺なら、なぜいまだに遺品が返還されないのか? 返還できない重要な理由があるのではないのか? このロス市警の不自然な行動に、なぜ日本政府…当地の領事館が動かないのか? 日本人が不慮の死をとげたのに、司法当局の検察も警察も動きません。 三浦和義さんは日本の最高裁判所で無罪判決なんです。 ボクは日米間の司法取引があったと、当時から発言したり、論文を書いていますが、その思いは今も変わりません。 10月11日は盟友の不条理記念日。 ボクはこの日を命が尽きるまで忘れません。
…と考えたのは、弱腰の日本政府だけで、中国はこれに乗じて国境問題にまで踏み込んでくるのは、自明の理です。 なのに、数日前の政府要人の言葉はどうだったか。 今回の筋書きを作ったであろう仙石官房長官は「検察が法規にのっとり粛々と進めている」と発言した。 外務省の報道官は「法規にのっとり粛々と進めている」と言った。 前原外務大臣は「法規にのっとり粛々と進めている」とおっしゃった。 そして我が国のトップ、菅直人首相は「法規にのっとり粛々と進めている」とのたもうた。 おいおい、皆さん粛々かい? この言葉が余程好きだと見えますね。 前政権の自民党政府の人々も、この粛々が好きだったけれど。 民主党の要人の皆様、「粛々」と言っていれば政治家の仕事をしていると勘違いしていませんか? はっきり言えば、貴方たちの言葉には言霊がありません。 言霊のない言葉は百回しゃべっても、聞く人の心には入りません。 誰が官房長官や外務大臣や総理大臣の発言原稿を書いたか知りませんが、きっと一人の人間が書いたのでしょう。 その人に言いたい。 「粛々」の意味を知りませんね? この言葉は歴史が好きな人、儒学をかじった人なら誰でも知っています。 江戸後期の儒学者・頼山陽の詩の冒頭の言葉です。 「鞭声 粛々 夜 河を渡る」 これは川中島の決戦における、武田軍と上杉軍の壮絶な闘いの中の静寂な一瞬を詠ったものです。 馬に打つ鞭の音が敵に聞こえないように軍隊が河を渡っているのです。 敵に分らないように静かに静かに…これが粛々です。 つまり官房長官も外務大臣も首相も、中国に内緒で粛々と進めていたんですね。 大体、粛々はもともと中国語だし・・・ これじゃ、中国にバカにされるのは当たり前でしょう。 この程度の方々が舵をとるこの国は、いったい何処へ漂流して行くのだろうか。 ため息しか出てきません。
歴史的異常さの猛暑に反比例するかのように、この国の政治の肌寒さはなんなのだろう。 マスコミで語る政治家・評論家・自称?知識人たちの言葉で、すごく気に掛かることがある。 それは横文字の多用さである。 大事な部分になると、訳の分らない横文字をさらっとお使いになるのだ。 それで、マスコミ人も何となく納得顔で済ましてします。 その代表的な言葉が、政治家もマスコミも大好きな「マニフェスト」だろう。 なんで政策の大事な言葉に、横文字を使うのか? 「マニフェスト」を政策公約とでも無理に訳しているのだろうが、この言葉は何語? 英語なら「manifestion」であり、「manifest」なら形容詞だから「あきらかな」と言った意味しかない。 「manifesto」という名詞の単語もあるが、これはフランス語だ。 まさか日本政治の根幹に欧州の農業国のフランス語は使わないでしょう。 余談ですが、みんなの党のお好きな「アジェンダ」に到っては「お祈り」なんて意味にもとれるのです、お気の毒に。 「マニフェスト」みんなが分ったような顔をしているこの言語感覚が危険なんです。 主に英語の多用ですが、ボクはこれはアメリカの陰謀だと考えています。 「happy slave」…訳せば「幸せな奴隷}です。 支配されている側が、支配されていると感じさせない、最も高度な支配。 究極の支配を「幸せな奴隷」と言います。 戦後65年、アメリカは将に日本国を「幸せな奴隷」として支配してきたのです。 アメリカと日本の関係は将にこれなんです。 ボクたちはアメリカの幸せな奴隷になっているのです。 日常会話の英語の氾濫は、アメリカの戦略の一環だと、ボクは思っています。 でなけりゃ、戦後の文部省が日本語教育を減らし、英語教育を必須科目にすると言う、不自然な方針を出すはずがありません。 今こそ、皆がアメリカと日本の関係を理解した上で、政治家や日常の先導者を選らばなければなりません。 大事なことは、まず日本語で語るべきです。
テレビではNHKだけが、全国戦没者追悼式を生中継していたが、民放は相変わらず愚にもつかない番組の垂れ流しである。 心ある視聴者は、そんな番組を支えているスポンサーの商品を買わないのに。 朝日新聞などはこの終戦の日を一面で扱ってはいない。 この国のマスメディアとはなんなのだろう? ジャーナルの一欠けらもないのだろうか。 ボクはいつものように、正午に自宅で独り黙祷で、310万人の戦没者の方々に哀悼と感謝を捧げた。 この人々のお陰で今日のボクの生活があるのだ。 310万人の皆様にボクは生かされているのです。 それをどうしてこの国のリーダーたちは分らないのだろう。 戦没者の皆様の死を無視するのだろう。 無視ならまだ良い。 民主党のように「閣僚は靖国神社参拝しません」などと、わざわざ誰の顔色を伺って発信しているのか? 政府としての発信なら憲法違反の疑いもある馬鹿げた行為だ。 ボクは今年の春、靖国神社本殿の正式参拝をさせていただいたことがきっかけで、関東とその近県の護国神社の参拝をしている。 各県の護国神社は戦争に命を捧げて散った人々を英霊として、おまつりしている。 その護国神社めぐりで気付いたことは、日本人は余りにも310万人の命を無視しすぎていると感じたのだ。 なぜなら普段、護国神社を参拝する人が殆どいない。 どこも閑散としている。 先週は埼玉県の護国神社へ行ったが、ボクがお参りしていた30分ほどの間、全く人が来なかった。 大都会大宮市の真ん中にあるのに、そんなことでいいのだろうか。 戦争とは何だったのか…もっと真剣に考えたい。 護国神社の英霊たちを悲しませてはならないのだ。 それが民主党の能天気な馬鹿げた判断である。 ボクも民主党なら少しは変化が…とも思ったがそれが幻想であることが最近はっきりしてきた。 くだらない権力を持った奴の行動はみな同じだ。 弱者の悲しみや切なさが見えなくなるらしい。 大体政府は最近、祝日休日ばかりやたら作っているが、終戦の日はなぜ休日にしないのか? この日こそ、国民の最大の休日にするべきだとボクは思う。 「終戦の日」などとぬるいことを言わないで、はっきりと「敗戦記念日」とするべきだ。 勿論、祝日ではなく「国民の悲日」である。 これを国民こぞって世界に提示してこそ、戦争責任の重荷を日本の若者達が負わないで済むのだ。 それを勇気をもってする事こそ、政治であり大人としての戦争責任の取りかたなのである。
昨夏から学んでいる神道の哲学を、この眼と心で確かめる機会を神社本庁の皆様に頂きました。 そして神社本庁が主催する伝統文化セミナーの一員として、熊野三山…熊野那智大社の火祭り拝観、そして熊野本宮大社と熊野速玉大社への正式参拝をしてまいりました。 更に神武天皇が登ったと言う神倉神社への巌を這い上がり、ご神体「ごとひき磐」の迫力に圧倒されもしました。 将にボクの穢れた心根を洗われた旅でしたが、もっと嬉しいことに出会えました。 それは那智大社の扇祭り(通称・火祭り)に参加していた神職さんと地元の大勢の男達です。 感動的とも言える、紅蓮の炎と燃え盛る50kgの大松明を抱えて、階段を駆け上がり下る者たち、数十キロの扇神輿を担いで那智の大瀧へと御進行する者たち・・・ 特にこの中で、ボクは参加している多くの若者たちの真摯な眼差しと清清しいまでの動きに感動したのです。 都会にいると、やれ草食系だの軟弱派だのとマスコミに揶揄されている若者達・・・ しかし、ここの若き男どもは、将に日本男子の心意気溢れる奴ばかりでした。 日本男子は絶滅危惧種じゃねえ・・・まだまだいっぱいいることが嬉しかったのです。 大自然の中で生き生きと躍動する彼等なら、ボク達の急務である生物の多様性を守る大儀が進められます。 それが確認できたことが嬉しかったのです。 熊野三山詣では、神々から多大なお力をいただき、更に地元の人々からもいただきました。 ありがとうございました。 この頂いたお力で、この国の為、ふるさとの為、弱い生き物達を守る為に全力を捧げる決心がつきました。 [↓前の20件] [トップページへ戻る] |