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歴史的異常さの猛暑に反比例するかのように、この国の政治の肌寒さはなんなのだろう。 マスコミで語る政治家・評論家・自称?知識人たちの言葉で、すごく気に掛かることがある。 それは横文字の多用さである。 大事な部分になると、訳の分らない横文字をさらっとお使いになるのだ。 それで、マスコミ人も何となく納得顔で済ましてします。 その代表的な言葉が、政治家もマスコミも大好きな「マニフェスト」だろう。 なんで政策の大事な言葉に、横文字を使うのか? 「マニフェスト」を政策公約とでも無理に訳しているのだろうが、この言葉は何語? 英語なら「manifestion」であり、「manifest」なら形容詞だから「あきらかな」と言った意味しかない。 「manifesto」という名詞の単語もあるが、これはフランス語だ。 まさか日本政治の根幹に欧州の農業国のフランス語は使わないでしょう。 余談ですが、みんなの党のお好きな「アジェンダ」に到っては「お祈り」なんて意味にもとれるのです、お気の毒に。 「マニフェスト」みんなが分ったような顔をしているこの言語感覚が危険なんです。 主に英語の多用ですが、ボクはこれはアメリカの陰謀だと考えています。 「happy slave」…訳せば「幸せな奴隷}です。 支配されている側が、支配されていると感じさせない、最も高度な支配。 究極の支配を「幸せな奴隷」と言います。 戦後65年、アメリカは将に日本国を「幸せな奴隷」として支配してきたのです。 アメリカと日本の関係は将にこれなんです。 ボクたちはアメリカの幸せな奴隷になっているのです。 日常会話の英語の氾濫は、アメリカの戦略の一環だと、ボクは思っています。 でなけりゃ、戦後の文部省が日本語教育を減らし、英語教育を必須科目にすると言う、不自然な方針を出すはずがありません。 今こそ、皆がアメリカと日本の関係を理解した上で、政治家や日常の先導者を選らばなければなりません。 大事なことは、まず日本語で語るべきです。
テレビではNHKだけが、全国戦没者追悼式を生中継していたが、民放は相変わらず愚にもつかない番組の垂れ流しである。 心ある視聴者は、そんな番組を支えているスポンサーの商品を買わないのに。 朝日新聞などはこの終戦の日を一面で扱ってはいない。 この国のマスメディアとはなんなのだろう? ジャーナルの一欠けらもないのだろうか。 ボクはいつものように、正午に自宅で独り黙祷で、310万人の戦没者の方々に哀悼と感謝を捧げた。 この人々のお陰で今日のボクの生活があるのだ。 310万人の皆様にボクは生かされているのです。 それをどうしてこの国のリーダーたちは分らないのだろう。 戦没者の皆様の死を無視するのだろう。 無視ならまだ良い。 民主党のように「閣僚は靖国神社参拝しません」などと、わざわざ誰の顔色を伺って発信しているのか? 政府としての発信なら憲法違反の疑いもある馬鹿げた行為だ。 ボクは今年の春、靖国神社本殿の正式参拝をさせていただいたことがきっかけで、関東とその近県の護国神社の参拝をしている。 各県の護国神社は戦争に命を捧げて散った人々を英霊として、おまつりしている。 その護国神社めぐりで気付いたことは、日本人は余りにも310万人の命を無視しすぎていると感じたのだ。 なぜなら普段、護国神社を参拝する人が殆どいない。 どこも閑散としている。 先週は埼玉県の護国神社へ行ったが、ボクがお参りしていた30分ほどの間、全く人が来なかった。 大都会大宮市の真ん中にあるのに、そんなことでいいのだろうか。 戦争とは何だったのか…もっと真剣に考えたい。 護国神社の英霊たちを悲しませてはならないのだ。 それが民主党の能天気な馬鹿げた判断である。 ボクも民主党なら少しは変化が…とも思ったがそれが幻想であることが最近はっきりしてきた。 くだらない権力を持った奴の行動はみな同じだ。 弱者の悲しみや切なさが見えなくなるらしい。 大体政府は最近、祝日休日ばかりやたら作っているが、終戦の日はなぜ休日にしないのか? この日こそ、国民の最大の休日にするべきだとボクは思う。 「終戦の日」などとぬるいことを言わないで、はっきりと「敗戦記念日」とするべきだ。 勿論、祝日ではなく「国民の悲日」である。 これを国民こぞって世界に提示してこそ、戦争責任の重荷を日本の若者達が負わないで済むのだ。 それを勇気をもってする事こそ、政治であり大人としての戦争責任の取りかたなのである。
昨夏から学んでいる神道の哲学を、この眼と心で確かめる機会を神社本庁の皆様に頂きました。 そして神社本庁が主催する伝統文化セミナーの一員として、熊野三山…熊野那智大社の火祭り拝観、そして熊野本宮大社と熊野速玉大社への正式参拝をしてまいりました。 更に神武天皇が登ったと言う神倉神社への巌を這い上がり、ご神体「ごとひき磐」の迫力に圧倒されもしました。 将にボクの穢れた心根を洗われた旅でしたが、もっと嬉しいことに出会えました。 それは那智大社の扇祭り(通称・火祭り)に参加していた神職さんと地元の大勢の男達です。 感動的とも言える、紅蓮の炎と燃え盛る50kgの大松明を抱えて、階段を駆け上がり下る者たち、数十キロの扇神輿を担いで那智の大瀧へと御進行する者たち・・・ 特にこの中で、ボクは参加している多くの若者たちの真摯な眼差しと清清しいまでの動きに感動したのです。 都会にいると、やれ草食系だの軟弱派だのとマスコミに揶揄されている若者達・・・ しかし、ここの若き男どもは、将に日本男子の心意気溢れる奴ばかりでした。 日本男子は絶滅危惧種じゃねえ・・・まだまだいっぱいいることが嬉しかったのです。 大自然の中で生き生きと躍動する彼等なら、ボク達の急務である生物の多様性を守る大儀が進められます。 それが確認できたことが嬉しかったのです。 熊野三山詣では、神々から多大なお力をいただき、更に地元の人々からもいただきました。 ありがとうございました。 この頂いたお力で、この国の為、ふるさとの為、弱い生き物達を守る為に全力を捧げる決心がつきました。
帰宅すると一通の手紙が・・・。 差出人は見覚えのある、綺麗な細字で林眞須美とある。 そんな馬鹿な・・・彼女は去年の6月に和歌山毒カレー事件で死刑が確定してしまった。 彼女がいる大阪拘置所は死刑囚に対しては外部交通が禁止、つまり手紙の発・受信はご法度である。 面会も弁護士と家族以外は許されない。 その眞須美さんからの手紙である。 急いで封を切ると、中から出てきたのは雑誌記事のコピーが2枚だけ。 彼女の文面は入っていない。 何かの暗号か、冗談かと矯めつ眇めつ眺め尽くしたが何も見つからない。 送られててきた雑誌記事は、ボクの友人でもあるジャーナリストのKさんが書いた、毒カレー事件の冤罪性に関しての論文である。 この文章は以前にボクも読んでいる。 ますます不思議でKさんに電話した。 そして分った。 大阪拘置所は今、改築していて7月に眞須美さんも独居房が移動になる。そこで私物の整理を通達されたのだ。 そしていつも独居房で握りしめていた、この眞須美さんの無実を訴える論文を捨てきれず、千載一隅の機会に外部発信を許されボクに送ったのだった。 でも文字のひとつも書くことは許されなかったのだ。 彼女は藁にもすがる気持だったのだろう。 でもボクは確かに彼女の気持をしっかり受け止めた。 林眞須美さんの再審請求は、安田弁護士さん達が準備中である。 支援の輪も大きく膨らんでいる。 動機も物的証拠も無い人間を死刑にしては、絶対にいけないのだ。
本来ならボクはまず出席不可能な会なのである。 なぜなら、ボクはこの学校を卒業していない、退学になり学籍は抹消なのだから。 しかし二年前、晴天の霹靂のように、シャガールの絵のように、突然ボクは卒業該当者になってしまったのだ。 このことは書くと長くなるので、暇な方はこの「いちご悪書」の二年前頃を見ていただければ分ります。 まぁそんなこんなで昨日、上智大学マンドリンクラブの同窓会に参加したのだ。 40数年ぶりの友たちの面影を実像に結ぶのは、非常に困難であったが、時が進むにつれ、暖かな想いがボクの胸を満たし始めた。 あの声、この笑顔、紛れも無い心を許せる友がいた。 ボクはこのクラブでパーカッション担当、主にコンガを叩いていたのである。 「お前のコンガはリズム感が最高だったよ」 お世辞にしろ、自分が忘れていた自分の姿を友に教えられる楽しさ。 自分の知らない自分を様々に語ってくれる友たち。 金や地位や権力ではない、人間の結びつきの素晴らしさを腹いっぱいに満たした一日だった。 嬉しかった。 次はボクが所属していた文学部ドイツ文学科の同窓会にも招かれた。 上智大学始まって以来の劣等生と言われたボクが胸を張って出席するつもりだ。 人生って面白い、長く生きているって捨てたもんじゃない。 とにかく素晴らしき上智大学の友たち、大好きだよ。
ボクが前回書いた、この事件に関する問題点を追求する報道が今も、ないことに愕然とし暗澹たる思いがせつない。 動物の命より人間の経済至上主義優先がそれほど大事なのか? 健康な牛や豚にワクチンを投与した上で殺処分する不自然さを、なぜマスコミは追及しないのか? 農水大臣も県知事もワクチン投与の牛や豚をなぜ自ら食わないのか? 食っても人体に何の害もないものを、食肉にしたら国際市場でのブランドランクが下がるからだけの理由ではないか! 人間の利益が、大切な動物たちの命を奪うことに、ボクは抗議することをやめない。 しかし、今回はこれがテーマではない。 こちらの問題も不自然の極みである。 口蹄疫でこれほど大騒ぎしているマスコミが、5月27日に厚生労働省が発表した2009年に発症したエイズ患者数が過去最多になったニュースをほとんど報道していない。 新たなエイズ患者は431人、HIVウイルス感染者数は1021人。 ボクはこの数字は少なすぎると思う。 これは氷山の一角に過ぎない。 なぜならこの年の保健所などでの検査件数は前年よりも2万7千件も減少しているのだ。 どういうことか、はっきり言えばエイズウイルスの蔓延は既に防ぎようが無いところまで来ているのだ。 厚生労働省はお手上げなのだ。 民主党などは目先の問題に大童でエイズ問題など眼中にない。 また民間レベルのエイズ撲滅キャンペーンなども尻すぼみ状態である。 ボクが20年ほど前、一世風靡セピアの団員達を連れてニューヨークで行ったエイズチャリティパフォーマンスの時も、日本のマスコミの関心は薄かったが、現在も同じような状況だ。 NYでのボクが書いたショー台本のテーマは「エイズは人間から愛を奪い去る悪魔」は今も同じである。 エイズに関する日本人の関心は薄すぎる。 口蹄疫よりも100倍も恐ろしい事柄なのに、あまりにも関心が無さ過ぎる。 今、日本の繁華街はエイズウイルス塗れになっている現実を直視するべきなのだ。 どすしたら若者たちにボクの危機感が伝わるのだろうか。
罪の無い牛や豚の命がゴミ屑のように葬られている映像に接するのは辛い。 この事件では報道各社はバカの一つ覚えのように、同じ視点での報道に大童状態である。 テレビも新聞も週刊誌も、この国の報道に携わる方々には、異論の持ち合わせがないのだろうか? 視点を変えると言う基本を持たないのだろうか? 今日あたりは政府も当該自治体の宮崎県も、対策の遅れの責任はないだの、非常事態宣言だの、自分たちの保身に躍起になっているとしかボクには思えないのだ。 そのまんま東知事などは「寝ずに一生懸命やってるんですよ!」 なんて報道陣に興奮して怒鳴っていたが、ちょっと待った! 非常事態宣言を出して、家畜の全頭処分なんて方向に行く気ではないだろうね。 ボクがこの事件で最初から不自然に思っていることがあるんです。 政府も自治体も報道各社もなぜか、口を閉じているのだが、なぜワクチンを投与しないのか・・・と言うことです。 口蹄疫はワクチンで感染は簡単に防げる筈です。 人間のインフルエンザの時はワクチンであれほど大騒ぎしたのに、牛や豚では誰もワクチンのことを言い出さない。 実は彼等にはワクチンを投与したくない事情があるんです。 つまりワクチンを投与した家畜は肉のランクが下がるんです。 例えば日本では牛肉のランクは上中下の3ランクに分類されます。 宮崎県の牛は上ランクが多いのです。 これにワクチンを投与すると中ランクになってしまいます。 つまり金がらみなのです。 今、この国に蔓延している経済至上主義、この国を駄目にした金が全ての判断基準なのです。 だから投与しないのです。 例え宮崎県の家畜を皆殺しにしても、人間の利益を優先するつもりなのです。 牛や豚たちの命を頂いて生きている人間達が、命を頂いている感謝の心を忘れ、彼等を無駄死にさせていいものでしょうか? それを誰も不自然に思わないのでしょうか? この国は今、進むべき方向を完全に見失っています。 この事件だけではありませんが、ボクたち大人は、子ども達に何をどのように伝えたらいいのでしょうか? 最近、ボクがしばしば立ち止まって考えてしまうことです。
日本のマスコミは無関心だが、アメリカではますますヒートアップしているのだ。 トヨタ批判が膨張し、単独詐欺事件として様々な人々が集結し、広域集団訴訟に発展している。 この事件の原告弁護人代表がマーク・ゲラゴス弁護士だと言う。 彼はアメリカでは名立たるスター弁護士である。 いや、ボクも知らない仲ではない。 絶対に忘れることの無い2年前、米国ロスアンジェルス警察の留置所内部で不自然な死をとげた盟友・三浦和義さんの不可解な事件の担当弁護士であったのだ。 ゲラゴス氏の手元には、あの事件に対するボクなりの推理論文も英訳して渡っている。 ゲラゴスは事件当初からあの事件は自殺ではなく、他殺だと認定していた。 その彼が今年になって手のひらを返すように事件から外れることを一方的に通告してきた。 ボクは彼に何が起きたのかと半信半疑であったが、今になって合点が行く。 ボクは彼と権力に何らかの司法取引があったのだと思う。 トヨタ問題と三浦和義さん問題は見えない糸で結ばれている、その糸がボクには見える。 いや、それだけではない。 クロマグロ問題も然り、全てが不自然な連鎖をしているのだ。 今、世界で起きているのはトヨタバッシング等と言う規模ではない。 これは日本バッシング、一気呵成の日本つぶしなのだ。 民主党政権になって、日を追う毎の政治の大混乱、このチャンスを世界が見逃す訳が無い。 現代の戦争は武器など使用しなくても国を消滅させることが出来るのである。 今、戦後最大の日本のクライシスだとボクは感じている。 だからこそ、アメリカの広域集団訴訟が気がかりなのだが・・・。
なぜ日本人の大好きなマグロを…このやろう! いや、そうじゃありません。 ボクが異議を唱えるのは、このドーハの審議に対する我が国のマスコミの報道の視点にです。 テレビも新聞も全ての報道が日本バッシングに対しての反論に始終しているのです。 農林水産大臣ですらインタビューにうろたえ、クロマグロが禁輸されたらえらいこっちゃと慌てふためいている情けなさである。 禁輸提案国のモナコ代表はこのままマグロ漁を放置しておけば、3年後に地中海のクロマグロは絶滅すると問題提起をしています。 ボクはその通りだと思います。 今、日本が地中海でやっている(他国にやらせている)クロマグロ漁は酷すぎます。 実はこの部分がなぜか日本では報道しないのですが、地中海のクロマグロ漁は成魚ではなく、稚魚を網で獲っているのです。 この稚魚を地中海沿岸諸国の海に牧場を作り、餌をめちゃくちゃに食わせて、日本人が大好きだと言う全身大トロの油デブマグロに育てているのです。 これは養殖ではなく、畜養と言います。 この殆どが日本に輸出されています。 畜養のお陰で日本人は回転寿司でクロマグロが食えるのですね。 でもね、クロマグロの稚魚を獲る時は巨大な網でクロマグロだけ獲れる訳ではありません。 他の多くの魚の稚魚も獲れてしまいます。こっちのほうが多いのです。 そしてクロマグロだけ大切に選別し、他の多くの稚魚は殺されて捨てられます。 この為に地中海は今、クロマグロだけでなく多くの魚が絶滅の危機なんです。 地中海の生態系が破壊されているんです。 いや、日本人が破壊しているのです。 ボクは地中海のクロマグロ取引停止に大賛成です。 他国に迷惑かけてまでクロマグロなんか食いたくはありません。 ボクはマグロが好きだけど、日本近海にだってビンナガマグロだって、キハダマグロだっているじゃありませんか。 フォアグラみたいに不自然に太らされたマグロをおいしいと言うのはバカなテレビレポーターだけだよね。 絶滅と言えば、日本人は江戸時代まではひとつの動植物さえ絶滅させないで共存した稀有な民族なんです。 それが百数十年後の日本は、世界中から自然破壊で軽蔑される民族に成り下がってしまったのです。 マスコミ人に心があるなら、この視点を報道するべきなのです。 今、この国はどうしてしまったのか? 何処へ漂流してしまうのか? このままではクロマグロと共に、日本人だって絶滅してしまいそうです。 今夜のドーハの審議が日本にとって2回目のドーハの悲劇にならないことを・・・。
強風の為に倒壊した。 ボクはその日たそがれ時に、このニュースに接し「やっぱりか…」と言う想いが心を満たした。 なぜかと言うと3月の初め、ボクは突然鎌倉の八幡様に行かなければと思い、出掛けてきたのである。 それは何十回目かの八幡様詣でであるが、その日ボクは生涯初めて御神木と一緒に写真を撮ったのだ。 その写真にはボクの背後から御神木が真っ直ぐ天に向かって屹立している。まるで高天原への天の橋立である。 この大銀杏は樹齢千年とも言われているが、いにしえの鎌倉幕府3代将軍 源実朝がこの銀杏の木の後ろに隠れていた公卿に暗殺された歴史を持っている。 歴史は巡ってボクの学生時代、この銀杏の大木がある八幡様の境内はボクたち悪がきの遊び場所であった。 ボクの高校は鎌倉学園で、建長寺の中にあり、学校の裏山をよじ登って笹薮の小道を行くと天園と言う素敵な高台があり、そこを南に下ると鶴岡八幡宮なのだ。 あのあたりは自分の庭のようなものだった。 だから当時からボクは八幡様と呼んでいる。 この銀杏の大木は境内でのカンケリの恰好の隠れ場であった。 この大木の下に集合し他校(逗子開成高校)の高校生と集団での大乱闘で機動隊に検挙された思い出もある。 機動隊に包囲されたとき、敵味方の区別なくこの大木の陰に隠れたっけ・・・。 その御神木がたった8メートルの北風で倒れたと発表された。 瞬間、ボクは非常に不自然な感覚に満たされた。 八幡様は本堂の北側の背後に山を背負っている。 だから北風には滅法強いはずだ。 さらに、本堂の階段下にある大銀杏は北風など微風程度にしか受け止めないはずだ。 大銀杏が風に弱いとしたら南側の海から表参道を真っ直ぐに引き裂いてくる南風だけなのだ。 でもあの日は北風だった。 だからボクは北風に倒れたと言う簡単な発表に不自然さを感じた。 ボクはこう推論する。 御神木は自ら倒れたのではないのだろうかと・・・ 笑う奴は笑っても構わない、でもこの世には人間の道理など遥かに超越した自然のメカニズムが存在している。 科学が万能などあり得ないし、人間は万物の霊長などではない。 あの御神木に見詰められて生きてきたボクには、今回の出来事は神の啓示だろうと想う。 ボクの学問である想像工学的には八幡様は武道、闘いの神を祭っている。 その闘いの神が自らの御神木を倒したのは、何らかのメッセージではないだろうか。 例えば不安定な労働者たちに、例えば若者たちに、例えば弱者・敗者たちに戦えとのメッセージではないだろうか。 今、絶望的に衰退しているこの国を活性化させるための闘い。 少なくともボクは八幡様からそんなメッセージ・パワーを頂戴した。 倒壊した大木を蘇生させることより、不自然に倒れた意味を考えたほうが良いのではないだろうか。
式典の裏方で飛び回っていた若い先生たちの自己犠牲の奉仕も見事であった。 この学校の講師である自分が幸せを感じる刹那である。 今年の卒業生は336名。就職率は100%。どうだ!すげーだろ! ・・・と良い気持のまま一夜明け見詰めた新聞。 今日、4月からの高校無償化法案が衆議院文部科学委員会で可決された。16日の本会議でもすんなり通過だろう。 民主党が先の選挙を勝つために掲げたマニフェスト?…の目玉である。(マニフェストに?を付けたのは理由があるが、ここでは長くなるからヤーメタ) 民主党は夏の参議院選挙対策には何が何でも、この法案の成立が命題である。 それも良いだろう。 ボクは高校の無償化に反対ではない、その根拠もないし。 しかし、絶対民主党政府を許せないのは、朝鮮人学校の除外である。 拉致問題が未解決、核武装している、国交が無いなど後付けの理由など理由にならない。 それらの問題の制裁として在日の北朝鮮学生に凶器の眼を向けるのは間違っている。 在日北朝鮮の子供達に何の罪があるというのだろうか。 第一、彼等は望んで在日と呼ばれる存在になったのではない筈だ。 今の政治家が触りたくない深く暗い歴史があるのだ。 これを民族差別と呼ばずに、差別を論ずるべきではない。 いつからボクたち日本人は、これほど心が貧しい民族に成り下がってしまったのだろう。 今、東南アジアの国々の学校では日本語クラスが続々と廃止になっている。 僕たち日本人は嫌われ始めているのだ。 北朝鮮学校の生徒達に日本の大の大人たちが制裁を加えているのだ。 俺たち日本人が美意識として持っていた「武士の情け」はどこへいったのだ。 総理が「友愛の精神」だとか言っていたのはなんだったのだ。 不自然も良いところだ。 夕方になって政府は北朝鮮学校の教育内容を精査して決める…とか 言い出したが、そんな言い草は誰も信じてなんかいない。 こんな時こそ自民党が身体を張って阻止する時なのに、駄目党のおっさん、おばさん先生連中には無理だろうなぁ。 まぁこれでまた日本は世界の人々に軽蔑されるのは間違いないだろうね。
所詮、民主党も自民党も同じ穴のムジナ、国民の生活や苦悩など何処吹く風の連中なのだ。 この茶番のドサクサに官僚たちが権力搾取に蠢いてることも知らず。 例えば厚生労働省は・・・日本中の職場の禁煙化を勧めているのだ。 その為に労働安全衛生法の改正案を準備している。 禁煙を法律で決め付けようとしているのだ。 喫煙者の人権も煙草販売者の生活も無視した暴挙を平然と行おうとしている。 大体、合法的な喫煙を強権発動で封じ込めようとしているのだ。 この禁煙を法制化したら、間違いなく次は禁酒の法制化だろう。 世界保健機構が酒の広告と販売の規制に乗り出そうとしている。 厚生労働省はきっとその尻馬に乗るだろう。 冗談で言っているのではない。 現にイギリスではすでにこの法律が機能し公園や海辺で缶ビールなど飲もうものなら警察にしょっ引かれる。 断っておくがボクは酒も煙草もやらない。 自分のご都合で厚生労働省に難癖をつけているのではない。 民主主義を標榜する先進国は所詮、権力を絶えず増強させなければ統治できないのだ。これが民主主義のリスクかもしれないとボクは感じている。 民主主義はこのように異端の人間を排除する。 最近は喫煙者も少数派になりつつあり、異端者扱いされてきた。 だから排除するのだ。 異端を排除したら、その国の文化は死滅するだろう。 異論を排斥したら、社会の民度は低迷する。 今やこの国は皆で決めたことは正しいのだ。 この国の人民は赤信号も皆で渡れば怖くなくなっている。 この危険な国民体質が多くの冤罪事件をさえ助長している。 だから裁判員裁判は危険なのだ。 そんな国民を作っているのが、権力しか見ていない政治家連中であり、官僚でありその腰巾着と化したジャーナリズムである。 連日行われている国民無視の政治茶番と官僚権力の蠢き・・・ そのプロパガンダと化したマスコミ。 国家や資本家の勝者の論理のみが最優先され、庶民たちの尊厳は踏みにじられている。 この国は大崩落に向けて突き進んでいる。 それを不自然に感じない人は死んだほうが良い。 未来の子供たちの悲惨な生活を見ないで済むから。 不自然に感じる人は闘いを挑め。
これは正確には引退させられたのであり、日本相撲協会理事会の暴挙である。 せっかく貴乃花理事の初参加の理事会でこんな結論をだすとは・・。 結局、貴乃花も裏取引で票を集めての当選と言われてもしかたがない。悪く言えば談合があったのだと思う。 貴乃花を英雄扱いするのは間違いだ。 さて、朝青龍問題であるが、これは相撲協会と横綱審議委員会とマスコミによる明らかな人種差別であり、人権侵害だ。 今回の問題はまだ、朝青龍が殴ったと言う証拠はなにもない。 たかだか酔っ払いたちが悪ふざけした上での怪我じゃ無いのか・・・とボクは思う。 冤罪の可能性だってまだあるのだ。 それは横綱の品格の問題だと、バカなことを後生大事にのたまう似非知識人やマスコミ人も掃いて捨てたいほどいる。 品格?・・今の相撲の何処に品格があるのだ? 懸賞金と称する金を賭けて勝ち負けを争い、勝ったらその金を鷲づかみする相撲取りの何処に品格があるのだ? タニマチと称するスポンサーに纏わり付き金品を頂くだけの「ごっつ あん体質」の何処に品格があるというのだ? 協会の理事達に品格があるか? 相撲の勝負も知らない横綱審議委員のおっさん、おばさんに品格を感じたことがあるだろうか? 相撲が日本の伝統文化だったのは、ワンスアポナタイム昔々のお話である。 相撲は日本の神道に発した武道である。 横綱は八百万の神の一柱であり、だからこそ注連縄を付けているのだ。 その日本の神の座にキリスト教徒やイスラム教徒や仏教徒をつけても平然としている輩たちには分るまい。 国技であった相撲に外国人を入れた時に、相撲道は終焉し国技ではなくなった。 単なる裸の男たちの格闘技である。 民主党政府は直ちに相撲協会の財団法人認可を取り消すべきである。 落ち着いて考えれば、現在の相撲なんてこんなものである。 そこでやんちゃな朝青龍がなにをしたというのか? 朝青龍こそ潰れかかった相撲人気を支え続けた大功労者じゃないのか。彼がいたからこそつまらない相撲が何とか持ちこたえたのだ。 相撲協会こそ彼に感謝し、それなりの恩を返すべきである。 そして理事会と横綱審議委員たちこそ直ちに引退するべきだ。 早くしないと、この愚挙は国際問題にもなりかねない。 どう見ても、今回の決定は人種差別がチラチラ垣間見えるのだ。 モンゴル人は協会内で相当な虐めと差別を受けているのだろう。 今日、この問題で記者会見をした白鵬が涙を流す姿には非常な違和感を感じたのはボクだけではないだろう。 本日のこの不自然な出来事は日本人として大変に恥ずかしいことだと感じたのである。 ボクは前からここでも言い続けてきたが朝青龍が大好きなんだ。
大勢の方々からお叱りを頂き、感謝の念を持って再会いたします。 休んだ訳は簡単で、心に感じた「よしなしごと」を散漫に書き繕う事に嫌気が挿したのです。 バカなアイドルやタレントがブログと称して、てめえが食ったものなどを写真と共に書いている日記もどきと何ら変わらぬ己の姿が恥ずかしくなった訳です。 で、この一年はテーマを明確にして書いてみたいと考えました。 昨年から毎週末、日本中の神社を訪ね歩き、国とは何か?日本人とは何か?ボクとは何か?を見詰めてまいりました。 そして今、ボクに必要な…いや日本人に必要な思考の尺度はこれなんだ!と思い及んだのです。 「それは自然・不自然」と言うモノサシ・・・。 これこそ地球上でも日本人だけが持ち合わせている日本人固有のモノサシであり、感性であり、判断基準なのです。 今、この時代に起きている全ての出来事はこのモノサシで計れば、明確に判断がつきます。 政治、経済、事件、身の回りの雑事など全てに応用できます。 神代の時代から大自然と共に生きてきた日本人だからこそ持つ固有のこの感覚を蘇らせたいのです。 そこでまず、ボクが率先して「自然・不自然」のモノサシで様々な事柄を計ってみます。 題して、ニッポンの「不自然大全集」 その1は・・・ いつも大晦日の夜になると、不自然さに猛烈に腹が立つもの。 NHK紅白歌合戦です。 いや、唄ってる能天気な歌手達には罪はありません。 とんでもない輩たちは、NHKの職員・放送スタッフなのです。 何が不自然かってまず最悪は、毎回番組のエンディングで全歌手が唄う「蛍の光」です。 なんの為にあの場で超不自然な歌を唄うのか? 多分、日常エリート風を吹かせているNHK職員も経営陣も偉そうな番組審議委員のとっつあん方も、あの歌の出所を知らないのです。 「蛍の光」は明治初期に、イングランドの曲に作詞者不肖の詞をつけたものです。 作詞者が軍に加担するのが嫌で、名を隠したの為に作詞者不肖です。 何のために・・・それは北方領土や南方領土拡大の為に続々と若き兵士を送り込む為の軍歌なのです。 一番は国の為に死を賭して出兵する若者達を見送る内容です。 二番、三番と見送る情景が続き、四番の歌詞になると具体的になります。書いてみましょうか・・・。 千島の奥も 沖縄も 八島の内の 守りなり いたらん 国に いさおしく つとめよ わがせ つつがなく と言う、ものすごい軍歌であります。 この「蛍の光」を誰が何の為に大晦日に唄わせているのか、公開質問状でも出して聞きたいものです。 もっとも訳を知っている奴の差し金か、番組では四番は絶対に唄いません。 はやく何とかしないと、今年も卒業式などでも子供達に強制的にこの軍歌を唄わせてしまうことになります。 まぁボクは軍歌が好きだから良いんだけれどね。 更に、NHK関係者のみならず左翼的思想の有識者諸君にも聞きたい。 常日頃、日の丸は日本国国旗にあらずとか言ってらっしゃるが、あの 「紅白歌合戦」と称して紅組・白組に分かれての闘いには疑問を感じないのでしょうか? 紅白こそ、日本人を真っ二つに分断し、血を血で洗った源平両軍の闘いの御旗であったはず。 その悲惨な闘いの象徴である紅白は問題なく、何故に日の丸は問題なのか? この不自然さ、ボクにはさっぱり分らないのであります。
中でも一躍時の人になってしまったのが蓮舫議員である。 本来政治家は核心となる言葉を控えるのが性であるが、蓮舫議員は歯に衣きせぬと言うか、無邪気さというか、まぁ大陸の血も混じってる人だから少々日本人にはないアグレッシブな精神の持ち主ではある。 そんなことを輝く時の人に言うのは失礼かもしれないが、彼女とは昔馴染みなので許してくれるだろう。 蓮舫とは彼女がクラリオンのキャンペーンガールとして水着のピチピチボディを振りまいていた後、俺が担当したテレビ朝日の深夜の生放送「プレステージ」のキャスターに起用したのが最初である。 まだ碌にコメントも言えない女の子であったが、向こうッ気だけは強くて、どんなテーマ、どんなゲストでも物怖じしなかった。 それと甲乙・白黒ははっきりさせるのが好きな子であった。 このキャスターを始めて確か1年位後だったと思う。 蓮舫が所属する川崎エージェンシーの社長から、今後どのように進んだら良いかの相談を受けた。 そこで六本木のクローバーで蓮舫とお茶を飲みながら、彼女の今後について語り合ったことがある。 その時、俺はこう言った。 これからは自分だけの人生テーマを持つこと・・・例えば今後大問題になるであろう食品添加物、あるいは飲料水問題などは女性として良いと思うよ・・・なんてことをアドバイスした。 蓮舫は素直に聞く子で、それ以後キャスターとしてのコメントががらっと変化してきた。 機を見るに敏・・・かなり器用でフットワークは良いのである。 その彼女が結婚し、双子を生んでから子育てに人生テーマをシフトし、議員になって遂には時の人になった。 別に俺がどうこうした訳じゃないが、昔馴染みとしては、なんだか嬉しいのである。 でも若い時から敵を沢山作ってしまう性質の子だったのが少々杞憂かもしれないが心配かな。 それとバサバサ切りまくるのは結構だが、木を見て森を見ず…切り過ぎて心の貧しい国造りの手先だけにはならないで欲しいな。
綜合演出の俺が言うのも手前味噌に聞こえるが、今年も素晴らしいショーだった。 今年のグランドテーマは「リ・ニューアル」 文化やアートをクリエイトすることは、この国の先達の感性や伝統や魂を継承し、そこに新しい感覚をインプットすること・・・ 政治や経済・文化を含め今、この国に必要なのは革命に近いほどの「リ・ニューアル」なのである。 このコンセプトを全校学生が理解して、全員で見事にショーを創り上げたのである。 今回のショーの素晴らしさは、エンターテイメント性もさることながら、ショーを創る過程において、学生達が垣間見せた人間愛とも言える美しさであった。 数百人の学生がそれぞれの役割を分担して行う舞台ショーである。 華やかなモデルもヘアーメークも制作スタッフも観客整理・警備係り も、すべて学生である。 誰だって華やかな役割に付きたいだろう。 しかし、役割の分担と言う大儀の元に、それぞれが自己矛盾を克服し、更に自己犠牲まで発揮してチームワークを維持してくれた学生もいた。 最近の大人社会では死語に近い「自己犠牲の美しい精神」を俺は自分の教え子達に見た。 この喜びは筆舌に尽くし難いものがある。 これこそ国際理容美容専門学校が校是にかかえる「躾」教育の賜物である。 今年の「美翔祭」は数百名の一体感と何ものにも替えがたい崇高な精神である「若者たちの自己犠牲」を見せてもらった。 俺は自分の学生達を誇りに想うと共に、心から尊敬するのである。 みんな!どうもありがとう。
この命の中には知恵や経験や魂など大切なものが詰まっている。 これは地球上のすべての生物に共通した自然の摂理なのだ。 最近、人間だけがこの掟を破り、なんと自分の子供や家族だけに金や地位や権利を継承することだけに汲々とする哀れな奴らがいる。 それも小金を溜め込んだ、企業成金に多い。 そんな晩節を汚すことが無いようにしたいと思っているが、俺は若者たちに何を残し、何を継承していくのかが定まらない。 それを見つけるために、今年から毎週のように神社巡りの小さな旅を続けている。 日本の大きな神社とその周辺には、出雲・大和時代からの長い歴史と 大自然、町並み、人々の生活が微かに残されているからだ。 そのかけらを拾い集め、自分なりの生きた証と目的を確認したい旅なのである。 昨日は千葉県の上総国・一ノ宮の玉前神社へ行って来た。 JR京葉線特急「わかしお」で上総一ノ宮駅で下りると小雨だった。 バスが三台も来たら身動きできないほどの駅前広場、店も駅前食堂と花屋が数軒、おまけに人の姿がほとんどない。 玉前神社へ7分の標識を見ながら町を歩く。 雨だからか歩行者もなく、小さな町並みを見ながら玉前神社に着く。 この神社は上総国の一ノ宮だけあって1200年の歴史があり、大社造りの拝殿も本殿にも大切に守ってきた人々の想いが感じられる。 本殿裏手の神木も見事な歴史の威容を見せている。 この地は縄文・弥生から人々の営みがあったところで、静寂に耳を澄ませると往時の古代人の囁きさえ聞こえるようだ。 玉前神社から雨の中を南へ30分ほど歩くと海へ出た。 駅前から海へのバスは一日に3便しかないのだ。 ここは房総半島の九十九里浜最南端である。 雨の浜は北風が舞い、不規則に潰された波が荒い。 砂浜に傘を差して彼方の沖合いを見詰める。 太古から延々と続くこの大自然の営みの中で、人間はいったい何を見つけたと言うのだろう。 万物の霊長などと大見得を切って、何をしてきたのだろう。 科学・化学万能の時代と胸を張っても、インフルエンザひとつに日本中が右往左往するだけである。 アメリカでは40%以上の母親達が我が子への予防注射を拒否している。副作用が怖いのだ。 日本ではそんな情報もなく、2回摂取だの1回だのと先を争って大騒ぎである。 科学など信じてはいけない。 大切なのは、自分が生きていく上で自然か不自然かを見極める魂なのだ。その物差しを持っているのは日本人だけである。 これも古代人から受け継いだ日本人固有の宝物なのである。 帰りに駅前のひなびた食堂で食べたチラシ寿司がとっても美味しかった。
確かに俺も最近は裁判所通いが楽しみの一つではある。 で、先週は20日に霞ヶ関の東京地方裁判所へ行ってきた。 先月、答弁書すら出さず闘う姿勢を示した被告との2回目の公判だ。 東京地裁では、19日は高相被告、20日は俺、21日は押尾学被告と続いていて笑っちゃうね。 もっとも19日や21日の地裁玄関前は報道陣と傍聴券を求める人々で、朝の新宿駅のような雑踏であったが、俺の20日は玄関前に一人もいないと言う寂しさ。 だからその寂しさを携帯カメラで撮ろうとしたら警備員数名がすっ飛んできて止めろと言う。 「報道陣は良くて、なんで俺はだめなんだ?」 と悪態をつくも無視された。 まぁ同じ裁判でも高相・押尾両名は被告、俺は原告…この違いは精神的に大きいね。 でも麻薬取り締まりは難しい事件だ。 正直言って二人とも、いや酒井法子にしても自分が悪事を働いたとは思っていないだろう。 現に今、麻薬を使っている多くの人間達もそうだろう。 心の中では、酒はどんなに度数が強くても、中毒になっても罰せられず、タバコも同様である。 麻薬と酒類の違いはなんなのか? 大麻と煙草の違いはなんなのか? 知識人を自認するお偉い?方々には、甚だ子供じみた意見に見えるだろうが、庶民レベルとはこういうことなのだ。 サプリメントやドーピング違反とされる薬品類や健康食品だって同じことが言える。 それぞれの径庭は誰が何の基準で決めたのか?が判然としないのだ。 渋谷や新宿の街へ出て、通りすがりの若者に聞いてみればわかる。 麻薬の入手方法など分っている奴のほうが多いくらいだもの。 と言って、俺は麻薬など肯定しているのではない。 現に俺は麻薬どころか酒も煙草もサプリメントすら口にしないのだ。 俺の筋肉はドラッグレスである。 まぁ話が長くなったが、麻薬と人間の付き合い・・・これは簡単な問題ではないのは確かだね。 で、俺の裁判に戻る。 第二回目の今回、法廷は前回と同じ6階の608号法廷、裁判官も前回と同じ眼鏡をかけた柔和な顔の小太り中年さんと書記官は気の強そうなアラサーって感じの女性コンビだ。 相手の被告は答弁書を出してきて和解を申し出てきた。 裁判官は「これで結審の方向でどうですか?」 と聞いてきたが、俺は不服を申し立て、今回も膠着、来月の法廷を取り決めてあっけなく終わりだった。 この日、数時間後に被告の相手より直接連絡があり、更なる和解条件を提出してきた。 でも、俺はそれも却下した。 そして新たな条件を提示して、一週間の答弁猶予を提供した。 多分、これで和解条件は整い、来月の法廷で結審するだろう。 今週はもう一件、少し大きな相手との裁判がある。 このワクワク感はいったいなんなのだ?
長門裕之さんから重態な病であることは伺っていたので、まもなくこの日が来ることは感じていた。 ボクが南田洋子さんと初めてお会いしたのは1970年代、フジテレビの音楽番組ミュージックフェアだった。 長門裕之・南田洋子夫妻が司会進行役でボクは駆け出しの構成作家だった。 三年ほど番組をご一緒したが、南田洋子さんはすばらしい気遣いをされる方で、金の無いボクらスタッフにしばしばご馳走をしてくれた。 六本木の会員制クラブ「TCK CCC]のレストランによく連れていって貰ったのが、昨日のように思い出される。 南田洋子さんは長門裕之さんよりも一歳年上の姉さん女房である。 金のわらじを履いてでも見つけろと、男どもには合言葉もある、一歳年上の女房なのだ。 確かに南田さんは女としての気風が最高だ。 こんなことがあった。 南田さんと京都へ旅番組のロケに行ったときだ。 夜、宿舎の旅館に当時、遊び人の旦那・長門裕之さんが尋ねてきた。 京都の舞妓さんと遊びたいので金を貸して…と言うことだった。 すると南田洋子さんはバッグから分厚い財布を取り出すと、そのままポーンと渡したのである。 さすが姉さん女房だ!とボクは感動したのを思い出すのである。 この旅番組では、南田さんの優しさを実感した強烈な想い出もある。 TBSの全国ネットで始まったこの旅番組のスタートは1990年代。 この頃、ボクはプロデュサーになっていて初回放送のゲストに南田洋子さんを起用し、京都ロケを組んだ。 京都ではテレビ初取材の高級料亭「吉兆」などと話をつけて取材した。テレビの食べ歩き旅のはしりのような注目番組だった。 しかも撮影は当時、最先端のENGカメラを使っての画期的な番組だったのである。 初回のその取材は無事に終わり、東京に戻ってプレビューしてぶっ飛んだ。 すべての画面にノイズという信号が入っていて、とてもオンエアできる作品でなない。 現場ではENGモニターが小さく、技術者がノイズをチェックできなかったのだ。 ボクは南田洋子さんに顛末をお話して、再度京都ロケをやらせていただいた。『吉兆」などにも頭を下げられるだけ下げて了解してもらったのである。 今度は現場でノイズチェックなど充分にやった。 そして帰京して、編集所で腰を抜かした。 なんと今度は音声が入っていなかったのである。 これじゃ放送できない。 もう一度撮影も不可能・・・。なにしろ放送3日前なのだ。 頭を抱えたボクに浮かんだのは、アテレコ・・・。 つまり自分のクチパクに台詞を録音していくのである。 映画などではよくあるが、旅番組の喋りは台本のない、フリートークである。これに台詞をかぶせるのは前代未聞のことである。 ありえないことなのだ。 それをボクは南田洋子さんに土下座しお願いした。 「分った、すぐやろう」 南田洋子さんは嫌な顔ひとつせず、むしろ落ち込んでるボクを励ます言葉さえかけてくれたのである。 こうして今日までボクのテレビ生活40余年の中でも最大のトラブルも、南田洋子さんのお陰で無事放送することが出来たのである。 今、ボクは秋の夜空に旅立っていかれる南田洋子さんに、そっとお声をかけた。 「洋子さん、ありがとうございました・・・」
自殺と言うロス市警の発表であった。 その日の夜から三日ほどテレビや新聞、雑誌マスコミの取材にに追われたが、ボクはキチンと対応し、同じ言葉を繰り返した。 「三浦和義は自殺などしていない。その根拠はこうだ」と・・・。 しかし、いつものようなマスコミの国民への意識誘導記事でなんとなく自殺説で世の中は落ち着き、この大事件は忘れ去られている。 様々な事件は次々と起こるから、仕方のないことではあるが、ボクたち支援グループは決して忘れもしないし、行動を緩めもしない。 ロス市警とはマーク・ゲラゴス弁護士チームが丁々発止の駆け引きの最中である。 一年たってもロス市警が留置場の内部や自殺とする仔細な情報をなんら提出してこないのは、向こうに非がある証拠だろう。 わが国の司法当局が、それをアメリカに請求しないのも、日米間に犯罪捜査に関する密約があるとしか思えない。 そのことはボクはレポートにしてアメリカサイドに提出してある。 日本がアメリカの法体系に合わせる義務など無いはずである。 この国は尊厳も理性もある独立国なのだから。 政権も新しく変わったのだから、ぜひ司法の情報公開を望みたい。 でなければ、最高裁で遂に無罪を勝ち取った男のプライドと無念を晴らせない。 三浦和義さんの一周忌にあたり、ボクは残る人生のライフワークのひとつとして、いつまでも彼の無念を共有する。 この一年前の出来事は、単に一人の男の死ではなく日本の未来を左右する重要な大事件なのである。だからボクは闘う。 [↓前の20件] [トップページへ戻る] |