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おじさんは反抗期 第二話 「おばさんの生物学的考察」 おばさんは人類なのだろうか? 近頃、この問題で考え込む事が多いのである。少なくとも、おばさんは女性ではない。 それはぼくの中ではっきりしている。 おばさんは性を超越した人類の新たな生物である。そう思い込まなければ納得できないことが、おばさんの生態には多すぎるのだ。 古来、哲学者も心理学者も宗教学者も科学者も生物学者も、そして文化人類学者さえ、おばさんと云う生物については研究しようとしないどころか避けている節がある。 なぜなのだろう、報復攻撃が恐ろしいのだろうか? しかしぼくは、この問題から目をそらす気はさらさらない。ぼくは男だ。 デカルトもカントもフロイトもサルトルさえ避けて通ったこの問題に、ぼくは敢然と立ち向かうぞ!怖いけれど・・・。 さて早速おばさんを定義付けると、まずズン胴である。首は太い。足首も太い。 肌の色は黄ばんだ白。顔は厚化粧が乾燥してヒビ割れしている。服装のセンスはないに等しく、しばしば徒党を組む癖がある。 ひとりの時でさえ、傍らに人無きが若し、つまり傍若無人であるが、さらに集団の時は始末が悪い。性格は凶暴さを増し、軽犯罪法や道路交通法などは全く無視してしまう。 自分たちの言動が法律なのである。だから、いかなる人類社会の論理も通用しないから、おばさんに口応えは徒労である。 このことを例をあげて説明しよう。 女性のトイレが満員だったとする。この時、おばさんは例外なく男性のトイレに侵入して来る。この行為はおばさんにとって正当であり、微塵の羞恥心もある訳がない。 しかしだ、男性のトイレが満員の時、女性のトイレにぼくたちが入り込んだらどうなるだろうか。間違いなく、おばさんたちは娘のような金きり声をあげ、自分の貞操がいかに危機をむかえたかを訴え、シニカルにぼくたちを警察に引き渡すであろう。 これが、おばさんの顕著な生態である。 さて、若い世代からすると、おばさんもおじさんも同じように見えるかも知れないが、それは全く違うことを、声を大にして断言しておきたい。 ぼくはこれを生物学的に証明できる。 両者はどこが違うか?それは成長の仕方である。 男は青年が壮年になると共に、実にゆるやかに、かつ穏やかにおじさんになってゆく。 しかし、おばさんはどうだ。あの可愛かった娘が、あの優しかった女性が、一体全体いつおばさんになるのだろうか。 可愛さや優しさの片鱗も感じない、全くの異性物とさえ思える、あのおばさんに突然変異するのである。その突然おばさんになる境目が、どのように存在しているのか、未だ誰も確認したものはいない。 これは生物学的にはウナギの産卵と同じくらいミステリアスなのである。 でも女性は確実におばさんに変身する。そしてぼくはその秘密を知っている。 ここだけの話だが、それは脱皮である。脱皮しておばさんになるのである。 この事実をメンデルもシートンも気付いていた節があるが、おばさんの復習を恐れて学会での発表は差し控えたと思われる。 しかし、ぼくは勇気をもって言おう。 おばさんは夜中に女性が突然脱皮して産まれた生物である。女性に責任はない。 それは悪魔の仕業なのだ。 生物学者諸君は直ちにおばさんのDNAを調べてほしい。恐らく全く想像を絶した遺伝子が発見できるはずだ。 だからぼくたちは、おばさんと同じ土俵で渡り合う無謀さに気付き、その個性を尊重してあげるべきである。 おばさんの価値観を認め、信頼するべきである、無理にでも・・・。さぁ、そうと決めたら皆で努力し、おばさんに優しくしてあげようではないか。 電車にはおばさん専用席を設けよう。おばさんだけの歩行者天国、街にはおばさん専門店ババアブランドも必要だ。 おばさんだけの政党があってもいいだろう。いや、いっそのことおばさんだけの独立国をつくってあげよう。 こうすりゃお互いどれほど幸せになることか。おばさんに会わずにすむ日常生活、これは男の夢だ。ここまで言ってしまうと、おばさんに暗殺されそうだが、その心配はない。 おばさんと云う生物の最大の特長は、じぶんがおばさんであることにだれも気がついていないことである。 [ESSAY TOPに戻る] |