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おじさんは反抗期 第三話 「銭湯にて」 昔々、どこの銭湯にも名人と呼ばれるひとがいた。 ぼくたち子供は、その名人に憧れ、名人の一挙手一投足を凝視したものだ。 そして、いつの日にかあのカッコイイ風呂の入り方を会得すべく、一生懸命真似したものである。 おとこの粋や、イナ背な人生哲学は風呂場にあった。 まず、名人は服の脱ぎ方が素早かった。脱衣場に入ると一瞬のうちにスッポンポンになり服をひとまとめにして籠に放り込んだ時には、すでに右手に手拭い、左手に石鹸箱を持っているのである。一連の動きに一分の隙もない。 けっして身体をモゾモゾさせながら下着を脱ぐような無粋な事はしなかった。 近頃の若い奴らはどうだ。何が恥ずかしいのか知らんが、隅っこで服をコソコソ脱ぎ、ドデカいバスタオルで腰を隠して洗い場に入ってくる。たまにパンツはいたままの奴もいるから驚く。 隠されると見たくなるのがひとの常ってやつだ。 余程イチモツが立派かと思いきや、ぼくの統計ではそんな奴に限って貧弱もいいとこなのだ。奴らはきっと子供の頃、親父や兄弟と風呂に入ったことがないのだろうと思うと気の毒である。 好きな女の前でも、パンツをはいたままなのだろうか。 さて、名人が洗い場に入る時は手拭いを持った右手でイチモツを隠し、石鹸箱をつかんだ左手で戸を開け、さらに後ろ手で閉める。この一連の動きには風流るるがごとく無駄がない。けっして石鹸箱でイチモツを隠してはいけない。必ず手拭いを用いるのが男社会の礼儀である。 ましてや桶で隠すに至っては、場末のストリッパーとなんら変わらないのである。 銭湯にはこの名人の他に、名手と呼ばれるひともいる。 名人と名手の違いは、名人が風呂場の礼儀作法に長けているのに対して、名手は風呂に関する技術に長けているのである。 例えば名人は、流るるがごとくの所作でさり気なく手拭いでイチモツを隠すが、名手はなんと手拭いをイチモツの竿に引っ掛けて隠すのである。 大名手になるとイチモツの竿に掛けた手拭いを、なんとなんと手を使わずにヒョイと肩に投げ上げる、つまりそのーご婦人方には説明が難しいのであるがー物理的には竿の弾力で跳ね上げると云う秘技を使う。 これは子供たちにとっては憧れのテクニックであり、真似をしようにもガキのイチモツでは如何ともしがたいことなのだ。子供たちは早く大人になることを夢見たものだ。 まぁ、ゴルフならバンカーからのチップインバーディー、サッカーならオーバーヘッドキックでのゴールに匹敵するのである。 伝聞では手拭いの代りに桶をイチモツの先端に引っ掛け、気合もろともそれを頭の上に跳ね上げる鉄人も存在したと聞く。 子供たちはこうして銭湯で人間の可能性と一芸の大切さを学んだものである。 さて話を名人に戻すが、洗い場における名人はまず身体に一、二杯の湯をかけた後、全身を洗う。頭も顔も洗う。これが原則的作法である。 洗う前に湯船に入ってはならない。これは原則より上の鉄則である。 なぜなら湯船はみんなで入る場所であり、身体をきれいにしてからはいるのは社会の常識である。自分だけで使うものは汚くても構わないが、みんなで使うものはきれいに使うのは人間の常道であろう。 この常識が今、すこし変なのである。 銭湯で観察していると、ほとんどの奴が洗い場に来るなり湯船に直行して、そのままドボンと入ってしまう。50%がそうだ。 残りの30%は桶一杯の湯を身体にかけてから入る。これは身体をきれいにすると云うより、湯温のチェックのためだ。 10%は桶の湯でかろうじて下腹部を洗浄している。 昔からの作法にのっとり、全身を洗ってから入るひとは10%にも満たない少数派になってしまった。 だから銭湯では身体を洗わないで湯船に入るのが常識で、ぼくが非常識って訳だ。 しかし悔しいから言うのじゃないが、身体を洗わずに湯船に入ったらどうなるか? 身体に付着しているアカや汗やホコリやウンチのカスや水虫菌がいっせいに湯船の湯に溶け込むんだぞ。そこへみんなが入るんだぞ! 汚ねぇじゃねぇか。君が汚すからおれも汚すって、これも最近の横並び現象か。 日本社会のアチコチに今、この風潮が蔓延しているよな。 現代日本のモラルとマナーの低下は、大人が子供に風呂の入り方をキチンと教えてこなかった結果であると断言してもよい。 おそらくモラルやマナーの衰退は、家庭における風呂の普及率に比例しているはずだ。 つまり親子で銭湯へ行くことが激減した途端に日本人のマインドは地に落ちたのだ。 なぜなら銭湯こそ最高の子供教育、人間形成の場であり、大人でさえここで人間関係のノウハウを再確認したものである。 銭湯のあの小さな空間は社会生活において、人間同士が裸の付き合いができる唯一の場である。金も権力も地位も人種もなにも関係ない純粋な心の交流が生まれる大空間である。人生の先輩の背中を流し、冗談のやり取りを楽しみ、自分のスペースをキチンと片付け、挨拶を交わして帰る。 人生の必要なエキスが凝縮しているのである。 これを面倒だの、わずらわしいだの云う奴は銭湯に来るな。ついでに社会にも出て来るんじゃない。お前さんたちが今、この国をメチャクチャにしているんだぞ。 今の政治家どもなんか、まずとんでもない風呂の入り方をしているに違いない。だから庶民感覚も感情も無視した言動を政治だと勘違いしているのだ。 今度の参院選に立候補するタレント候補たちが、なんの目的で政治をやりたいのか知らないが、偉そうなことを言う前に、まず風呂の入り方の見直しでも公約したらどうだ? そして男なら手拭いの1本もイチモツに引っ掛ける技術をマスターしようじゃないか。 ぼくは今、水の入ったヤカンを竿に引っ掛けてさらに、これをグルグル回転させるテクニックを練習してんだぞ! [ESSAY TOPに戻る] |